◆スザクはなぜ叩かれるのか
コードギアスの再放送(再放送初見の方はネタバレにご注意)の実況にたまに行くんですが、スザクに拒否反応を示す人ががやっぱり多いみたいだ。スザクと言えば主人公ルルーシュと対比されるような立場にあるキャラで、ルルが現実主義の改革派だとするとスザクは理想主義の体制派に位置するキャラクターだと思う。ルルーシュは鬱屈した世界を身を削って変えようとするキャラなので、現実世界になんとなく閉塞感が蔓延してる現在だと感情移入しやすく、共感も得やすいキャラクターだと思う。自分もそういうとこが好きだし。(ナナリーのためと動機が世界に及ばない点も共感を得やすい部分だと思う)だからその分、立場を異にするスザクは反感を買いやすく叩かれやすいんだろう。ただその叩かれ方が半端無い(グレンラガンのロシウとかもそうか)まさにスザク叩きのスタンピード、ここまで叩かれる理由にはなにが根底にあるんだろう。
◆理想を掲げる事への現実感のなさ
この現実主義の改革派と理想主義の体制派の対立って構造は昔からあって、個人的に似てるなと思ったのが「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」、この中でも改革派シャアと体制派アムロがその立場になってると思う(ギアス自体にガンダムへのアンチテーゼが含まれてるとも言えますが、それをサンライズがやってるという)コロニー内でアムロとシャアが対峙したシーンで、シャアはアムロに、ニュータイプ能力から英雄視され体制側に利用されてることを咎めます。その上、コロニーの自治権を認めない地球連邦に対し小惑星アクシズを落とすことで、地球人類を粛清するべきだとさえ言います。そのときのアムロの返しは「そんなものだって人は乗り越えられる」って発言だったと思う(しばらく見てないのでうろ覚えですが)いわば具体的な策はないけど人類の進化という「理想」に希望を見出してるんだと思う。逆シャアの最後では壮絶な戦いの末、サイコフレームの共振が起こり、人類に『人の心の光』が降り注いだところで終わっています。アムロとシャアの生死は語られず、人類が『光』を見たことでどのような変化が起きたかも描かれてません。ある意味、その後を見せないことで希望を見出す「理想主義的」終わり方。でもだからといって逆シャアを見た人が、アムロや逆シャアという作品自体に反感を覚える事はそんなになかったと思う。つまり時代が「理想」を受け入れる器をまだ持っていたと言えるんじゃないだろうか。
コードギアスのルルとスザクという関係と逆シャアのシャアとアムロという関係性に大きな差はなく、アムロとスザクに対する反応の違い、スザクが叩かれる理由には「理想にリアルを見出せない」現在の空気が大きく影響しているように思う(スタッフさんも時代を鑑みて狙ってるんだろうけど)つまり時代が時代ならルルとスザクの立場は逆になっていた可能性もあるんじゃないかと。どこかでそう感じるから自分のような(特にアムロを重ねてしまう世代は)スザク叩きにイマイチ乗れないんだと思った。だからと言ってスザクを叩くなとかしょっぱいことも言いたくないですが。父親ゲンブを殺した罪悪感で死に場所を求め体制側に身を置き、その自己肯定のために「理想」掲げる姿に「ウザい」と思うことも少なくないですし(そこがアムロとの違いか?)2期でもルルーシュとスザクの、現実主義の改革派と理想主義の体制派って対立がどうなっていくか、注目し考えていきたいです。

